フォーヴィスム


既成概念に囚われない
"野獣"派


たとえば、人物や風景を描こうと思ったら、目の前にあるそれらを目に映ったように描くでしょう。晴れた空は青だし、新緑の森は緑、オレンジはオレンジ色で描くのが一般的です。しかし、フォーヴィスムの画家たちは違いました。彼らは、現実にはあり得ないような色を用い、大胆な構図と激しいタッチでそれらをまるで”野獣”のように描きました。フォービスムという呼び方をするようになったのは、批評家のルイ・ヴォークセルという人物が発端で、彼らの絵を見たヴォークセルが「野獣が檻の中で野生を持て余しているようだ」と言ったことに由来します。以後、彼らの作品はフォービスム、つまり野生派と呼ばれるようになったのです。

フォービスムの画家たちは、ギュスターヴ・モローやポール・ゴーギャン、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、ポール・セザンヌなど、多くの画家の影響を受けていますが、特にギュスターヴ・モローの影響は大きく、彼らはモローから、かたちに囚われることなく、枠からはみ出て自由に物事を考えること。すなわち、既成概念に囚われない価値観を学びました。そして生まれたフォービスムは日本の画壇にも大きな衝撃と影響を与えます。なかでも梅原龍三郎や岸田劉生、熊谷守一などへの影響はその作品を観ても明らか。フォーヴィスムの画家たちは当時の美術界を大いに沸かせました。しかし、その活動は短命に終わり、それぞれが新たな道を歩むことになります。

アンリ・マティスは明るく品行方正な人物でした。当時、朝まで酒を酌み交わし、激しく議論し合うことを好むアーティストが多かったなか、マティスはそういったことを好みませんでした。決して群れることなく、アトリエには植物園のように観葉植物を並べ、鳥や動物なども飼っていたようです。彼はとにかく鑑賞者がリラックスして作品を鑑賞することを大切にしていて、そのテーマは食べる喜びを表すような食卓だったり、平和な田園だったりと、楽しく穏やかな風景を多く描きました。晩年は大病を患い長時間立っていられなくなりましたが、創作意欲は衰えることなく、むしろ盛んになっていきます。同時に目も悪くなりましたが、むしろその色彩はさらに鮮やかになりました。そして、有名な切り絵による作品「ジャズ」などを制作。色彩の魔術師と呼ばれ生涯を閉じました。

アンドレ・ドランは高い柔軟性を持ったアーティストでした。代表作でもあるテムズ川の景色を描いた作品は画商アンブロワーズ・ヴォラールのすすめでイギリスのロンドンに滞在した際に描かれたものです。彼は常に新しいやり方を取り入れながら、しかし一方で古典の手法も捨てることなく、フォーヴィスムと呼ばれた時代はもちろん、その後も独自の作風を磨いていきました。晩年は絵画だけでなくバレエやオペラの舞台衣装や舞台演出も手掛け大成功を収めています。ドランは生涯を通して、ひとつのスタイルにとどまることがなかったのです。

アーティスト同士が交わり合い、切磋琢磨し生まれたエコール・ド・パリやキュビスムとは違い、それぞれのアーティストが活動するなかで生まれたフォーヴィスム。批評家たちがそう呼んだそのスタイルが長続きしなかったのは、アーティスト自身がそのことに囚われなかったからでしょう。彼らは、過度に群れ合うこともなく、とにかく自由でポジティブでした。マティスやドランがそうしたように、枠に囚われることなく自由にポジティブに生きていくことで、新たに見えてくる景色があるのかもしれません。彼らが描いていたような鮮やかな色彩で、日常を、そして人生を彩っていきたいものですね。


©Alamy/amanaimages

アンリ マティス 
Henri Matisse

1869年12月31日フランス生まれ。裕福な穀物商人の長男として誕生。裁判所の資格を得るためにパリに出たが、二十歳の時に母から送られた画材をきっかけに絵画に興味を持つようになる。モローから特別に個別指導を受け、当初は写実的な絵を志していたが、その後自由な表現に転向。1954年11月3日(84歳)没。

©Bridgeman/amanaimages





アンドレ ドラン  
André Derain

1880年6月10日フランス生まれ。パン屋の息子として誕生。当初は工学を学んでいたが絵画へ転身する。マティスとの共同滞在制作やピカソなど多くの画家たちとの交流を経て、その独自性はより確固たるものに。絵画から舞台、挿絵や彫刻なども手掛けた。晩年片目の視力を失い、交通事故にて1954年98(74)没。

 

公開日:2020年1月1日

更新日:2020年1月1日