エコール・ド・パリ Ⅰ


アートの聖地
モンパルナスとモンマルトル


あまり聞き覚えはないかもしれませんが、今回はアート史上とても重要な『エコール・ド・パリ』のお話をしたいと思います。

エコール・ド・パリとは、20世紀前半にパリのセーヌ川を挟んで左岸のモンパルナス、右岸のモンマルトルに集い活動していたアーティストの総称で、そのほとんどがパリ以外からの移住者でした。世界を巻き込む大戦のあと、パリは芸術の避難場所として、創造や創作の自由を求めたアーティストを引き寄せたのでしょう。彼らはそれぞれ、モンパルナスならラ・リューシュ(蜂の巣)、モンマルトルならバトー・ラヴォーワールをアトリエ兼住居とし、セーヌ川を往来し、互いに刺激し合いながら才能を開花していきます。同じエコール・ド・パリでも左岸と右岸には違いがあったようで、詩人のアポリネールにいたってはそれらを「2つの国」と表現するほどに、言語はもちろん生活環境や習慣、気質なども異なっていました。それらはときに交じり合い、ときにぶつかり合いながら創作活動を展開していきます。多くのアーティストや作品、数々のドラマを生み出したエコール・ド・パリについてご紹介します。

まずは、マリー・ローランサン。彼女はエコール・ド・パリの中でも売れっ子の女流作家でした。恋愛体質で、アポリネールと情熱的な恋をしますが、モナリザの盗難事件でその恋の炎はあっさり鎮火。ローランサンが忘れられず、ひたすら彼女を思って詩を書きつづけるアポリネールには見向きもせず次の恋を見つけてしまうほど、その恋愛遍歴は激しかったようです。とどまることを知らない彼女の恋愛好奇心は性別を超えバイセクシャルとしても開花。自由奔放な彼女の作品は、パリを象徴する華やかなパステルカラーを基調とし、当時のパリのセレブの間ではローランサンに肖像画を頼むことがステイタスになるほど人気でした。絵画の枠を超え舞台や洋服のデザインなどでも活躍したローランサンは、マルチアーティストの走りと言ってもいいでしょう。

同じく愛を求めながら、ローランサンとはまったく違う生き方をしたのがシャガールです。シャガールは生涯妻ベラを愛し、ベラをテーマとした作品を多く制作。愛の画家と言われるほど一途な愛を突き通しました。その性格はいたって真面目で実にシニカル。ピカソを酷評していたことでも有名ですが、自分以外のエコール・ド・パリのアーティストたちを「異常な表現者」と公言するほど毒舌でもありました。ほかのアーティストが夜な夜などんちゃん騒ぎするなか、どんなにからかわれてもひたすら絵を描きつづけ、生真面目で、ひたすら奥さんを愛しつづけたシャガール。本人はそんなことは気にもしていなかったでしょうが、狂乱の時代において、シャガールのようなアーティストはとても珍しかったのです。

そして、誰よりも友愛が強かったアーティストはキスリング。彼は面倒見がよくモンパルナスの帝王と呼ばれるほど頼れる兄貴のような存在でした。純朴でピュアな絵を描くキスリングは、エコール・ド・パリのなかでは決して目立った存在ではありませんが、鮮やかで透明感があるのに深みのあるその色使いが魅力的です。数多く描いている人物画からもその深い人間愛が伺えるでしょう。

パリが世界で最も華やいだ時代、エコール・ド・パリの画家たちの共通のテーマは“愛”。言葉も国籍も違うアーティストたちの自由な、あるいは一途な、あるいは……。愛にはいろいろなかたちがあるということをエコール・ド・パリの絵を観て感じてもらえたらと思います。



©Christie's Images/Bridgeman/amanaimages

マリー ローランサン
Marie Laurencin

1883年10月31日フランス生まれ。私生児として生まれ、母によって育てられる。独特なフォルムと色彩で描かれた少女像に代表されるフェミニンな作風には、愛するパリへの郷愁や母親への畏愛が投影されている。経済的にも自立した女性画家であり、ジョルジュ・ブラックやピカソらが影響を受けている。1956年6月8日(72歳)没。

マルク シャガール
Marc Chagall

1887年7月7日ロシア生まれ。ユダヤ人家庭に育てられ、ユダヤ教が作風に大きな影響を与えたと考えられる。パリで起こった「キュビスム」を取り入れながらも、ユダヤ文化との融合を試み、独自の幻想的な世界を開拓した。その時代の社会情勢やシャガール本人の心情を、美しい色彩で表した。1985年3月28日(97歳)没。

©Christie's Images/Bridgeman/amanaimages

モイズ キリング
Moise Kisling

1891年1月22日ポーランド生まれ。「モンパルナスのキキ」など魅力的な女性をモデルにした作品を多く残す。コントラストの強い色彩を用いながらも、モデルの女性像が漂わせる哀愁は、キスリング独自の幻想的な世界を生み出している。親交が深かったモジリアーニは、彼の肖像画を残している。1953年4月29日(62歳)没。

公開日:2020年1月1日

更新日:2020年1月1日