近代絵画の父


アートの歴史を変えた
“絵画の神”


セザンヌは数多くのアーティストに多大な影響を与えてきました。すべての絵画はセザンヌの上で遊んでいるに過ぎないと言ってもいいほどに、絵画の歴史を、いや、アートそのものの歴史をドラスティックに変えた人物なのです。それは、ピカソから創作の父と呼ばれ、マティスからは絵画の神様と呼ばれた逸話からもうかがい知ることができます。

彼は、見えるものを見えるままに描くことがよしとされていた絵画の世界で、その対象物をより絵画として美しく成立させるために多視点という構図を採用し、自分の感覚や感性を描いた最初のアーティストでした。彼は対象物を幾何学的なものとして捉えたのです。それは絵画の存在自体を変える大きな挑戦であり、アート界における革命でもありました。

セザンヌの絵画の特徴は、現実にはあり得ない完璧な構図とリズム感、そして水彩画のような独特の透明感です。一般的に絵に奥行きをつくろうとしたら油絵の場合、絵の具を厚く重ねるものなのですが、セザンヌは時としてキャンバスの上に描かない部分を残すことで奥行きをつくり出しました。彼はそれまでの絵画の概念、そして伝統的な技法との決別を果たしたのです。

裕福な家庭に生まれ育ったセザンヌは、幼少期に出会ったエミール・ゾラの影響を受け芸術の道へ進むことを決意しました。同級生たちからのいじめから救われたお礼としてゾラがセザンヌに送ったりんごは、ふたりの友情の証であり、その後セザンヌの作品において最も重要な題材となります。

画家としてパリで活動をはじめたセザンヌは、後輩の画家や画材屋など一部の評価は高かったものの、画壇での評価は低く、画家として認められるには時間がかかりました。しかし、カミーユ・ピサロ※2のアドバイスによってセザンヌ独自のスタイルが確立されてからは、彼の作品は広く評価されるようになります。頑固で完璧主義者だったセザンヌは、成功し自分の絵に相当の価値がついた後も、一筆でも自分の思うままに描けなければ絵を破り捨て、最初から描き直すというスタイルを最後まで変えませんでした。野外での制作中、大雨に打たれ肺充血を併発し73歳で亡くなりましたが、それは生前「絵を描きながら死にたい」と言っていたセザンヌが望んだ通りの最期でした。

自分を信じ、自分の求める絵画を追求し続け、どんなに孤立しても自分を曲げなかったセザンヌは、自分を追い込むことで自分の求める芸術を完成させました。時として、辛くても自分を追い込むことで、自分の追い求める理想を得ることができるということをセザンヌの絵、そしてその生き方から感じ取ってもらえたら幸いです。

©Museum of Modern Art, New York, USA/Bridgeman/amanaimages

 

Paulポール Cézanneセザンヌ

1839年1月19日プロヴァンス生まれ。行商人から銀行家になった商才のある父親のもとに生まれる。父の希望で法律を学んでいたが、ゾラのすすめもあり画家を志しパリへ。当初は印象派として活動していたが、ポスト印象派に移行した。サロンでは何度も落選を繰り返し、作品が評価されるようになったのは晩年。本人の死後その名声と影響力はますます高まり、没後1907年、サロン・ドートンヌで開催されたセザンヌの回顧展は、後の世代に多大な影響を与えた。1906年10月23日(73歳)没。

公開日:2020年1月1日

更新日:2020年1月1日