シュルレアリスム

イマジネーションが
世界にもたらすものとは


みなさん、“シュール”という言葉はご存知ですよね。人や光景、物事を指し、私たちが日常的に使っているこの形容動詞も、実は今回ご紹介する『シュルレアリスム』を語源としていることをご存知でしょうか。

1920年代、フランスの詩人アンドレ・ブルトンを中心としてはじまったシュルレアリスムは、思想や文学、美術などの前衛運動で、超現実主義とも言われています。シュルレアリスムの活動家たちは人間の常識や理性を解放することによって、本質的な意識の奥に隠された世界を表現しました。

背景にあったのは第二次世界大戦。当時、ナチスが支配していたドイツでは多くのアーティストが退廃芸術として弾圧を受け、創造どころか想像することすら脅かされていました。自由な行動や発言が抑圧されていくなかで自由に想像することを求めた彼らは、物質や空間をねじ曲げ、実際にはありえない世界を創造していきます。そのヒントとなったのはフロイトの精神分析やアインシュタインの相対性理論にある時間の歪み。シュルレアリスムは数学や科学などをアートに取り込み、人間の想像の極限に挑戦した運動でもありました。何より、彼らが共通して求めたのは自由。シュルレアリスムは人間の解放運動そのものでもあったのです。そこで、少しだけある愛のお話を。シュルレアリスムの中心的な存在、サルバドール・ダリのお話です。

ダリは幼少期から精神が不安定で、対人(特に女性)恐怖症でした。しかし、25歳のときに一人の女性と出会います。その名はガラ。同じシュルレアリスムで活動する詩人の妻でした。ガラをひと目見たダリは恋に落ちてしまいます。そう、不倫です。だめですね。しかしながら思い出してください。シュルレアリスムが求めていたのは自由。人間の解放です。ダリは自分自身と向き合い、過ちを認め、そして人間として開き直りました。結果、二人は結婚し、二人だけの世界を築いていくことになります。「ガラはダリ、ダリはガラ」とは、ダリが言った有名な台詞で、ダリは自分の両親より、お金より、最も尊敬していたピカソよりもガラを愛し、ついにはガラ以外の誰も信用しなくなりました。ダリとガラ、この二人の存在こそがシュルレアリスムそのものといえるかもしれません。

1982年、ガラが亡くなるとダリは絵を描かなくなります。84歳で鬼籍に入るまでの6年間、一度も作品を発表することはありませんでした。しかしダリは、想像の世界で創作しつづけていたのではないかと私は考えます。誰かに見せることはなくとも、頭の中でガラのいる世界をダリは生涯描きつづけていたのではないでしょうか。それは画家にとって真の成熟といえるかもしれません。

退屈な通勤電車や昼下がりのオフィス、予定がなくなった休日など、時計をねじ曲げたり、好きな人を壁に投影したり、あるいは曇り空に太陽を昇らせてみたり……。自由な想像力さえあれば日常はいかようにも変えられるということをシュルレアリスムは教えてくれているのです。

©Photo Christie's Images London/Scala, Florence/amanaimages

ルネ マグリット
René Magritte

18981121日ベルギー生まれ。ある物体が思いがけない場所に置かれていることで違和感を持たせる、「デペイズマン」というシュルレアリスムの表現手法を用いる代表的な画家。またパイプの絵の下に「これはパイプではない」と記載した『イメージの裏切り』など、哲学的な要素の強い作風も特徴的である。1967815日(68歳)没。

サルバドール ダリ 
Salvador Dalí

1904511日スペイン生まれ。自らを「天才」と称し、また数々の奇行でも知られる、20世紀最大のシュールレアリスム画家。2つ以上のイメージを重ねて描く、「偏執狂的批判的方法」を提唱。時計と台所で溶けるカマンベールチーズを重ね合わせて表現した『記憶の固執』など、現実世界を覆し、好奇心を触発する作品を生み出した。



マックス エルンスト
Max Ernst

189142日ドイツ生まれ。ダダイズムとシュールレアリスムを結びつけた画家。幼少期から絵画を好み、大学時代には精神病患者の作品(アウトサイダー・アート)に興味を持っていたエルンストは、幻視を得るために、コラージュやフロッタージュ、グラッタージュなどの技法を発案。197641日(84歳)没。

 

公開日:2020年1月1日

更新日:2020年1月1日